福岡地方裁判所小倉支部 昭和39年(ワ)543号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕二、そこで、まず、被告の亡忠之に告知義務違反があつたという抗弁について判断する。
被告が、昭和三八年七月二五日保険契約者である忠之の相続人である原告らに対し内容証明郵便で忠之に告知義務違反があつたとして本件各保険契約を解除する旨の意思表示をし、右郵便が遅くとも同年八月二日までに原告らに到達したこと、忠之が右上腹部に腫瘤があるとして被告に告知しなかつたことは、当事者間に争いがない。
そして<証拠>を総合すれば次の事実が認められる。
(一) 忠之は、内科、小児科の開業医をしていたものであるが、昭和三八年二、三月頃から嘔吐、悪心、上腹部に鈍痛と膨満感があり、食欲がなく、全身に倦怠感があり、遅くとも同年四月二九、三〇日頃には右上腹部の腫瘤に触れていたものである。
(二) そして、忠之は、同年四月二九、三〇日頃医師仲間でかねて知り合いの開業医日高陽之介外科医に電話をかけて、「身体の様子がおかしいからみて欲しい。」旨依頼した後、同医師を訪れ、「上腹部が張るような感じがして身体がきつい。右上腹部の腫瘤に触れる。御飯がまずい。甘い物を食べると具合がよい。」旨主訴して同医師の診察を求めたので、同医師が、診察したところ、忠之の主訴どおり、右上腹部に手拳大の腫瘤を発見したので、肝臓癌の疑いがあり、さらに精密検査の必要があると考え、病名については忠之に何も話さないまま、忠之に九州厚生年金病院で精密検査を受けるようにすすめた。なお、忠之自身は日高医師の診察を求める以前の同年二月頃から強肝剤(メチオニン)とブドウ糖の注射を打つていた。
(三) 忠之は、日高医師のすすめに従い、同年五月四日、九州厚生年金病院を訪れ、同病院外科部長永田豊作の診察を受け、「二、三箇月前から嘔吐、悪心、上腹部に鈍痛と膨満感があつて食欲がなく、全身に倦怠感を覚える。」旨訴えた。同医師も、診察の結果、上腹部に腫瘤を発見したので、同医師は肝臓癌および胃潰瘍の疑いを抱き、忠之に入院をすすめたところ、忠之は、同月七日同病院に入院したが、同日同病院外科岩城徳義の診察を受けるに際しても、前記永田医師に対するのと同様の主訴をし、岩城医師が診察したところ、やはり右上腹部に大人の手拳大の腫瘤を認めたので、同医師も肝臓癌の疑いが最も強いと考えた。
このように、九州厚生年金病院の右各医師は、忠之の疾病については肝臓癌の疑いが最も強いと診断したが、診察および各種検査の結果、忠之の病状は既に手術が不可能な状態にまで悪化していると判断して、以後いわゆる保存的療法を施したが、遂に忠之は同年七月二〇日死亡した。
同病院の右各医師は、忠之の死因は当初の診断どおり肝臓癌と診断したが、肝臓癌の疑いがあるということは忠之自身に対しては同人の死亡まで話さなかつたし、忠之の家族も忠之に対しては肝臓癌のことは何も話してはいない。
(四) ところで、忠之は、同年四月二四日被告に対し本件第一次保険契約三口を申し込んだが、その際前記の右上腹部の腫瘤については被告に何らの告知をせず、同月二七日被告の診査医松尾敬から保険診査を受けたが、その際も同診査医に対し、右同様何らの告知をせず、前記の如く同月二九、三〇日頃日高医師に診察を受けたにもかかわらず、その事実も告げず、右同様なんらの告知をせず、同月三〇日に本件第一次保険契約三口を締結した。ついで、忠之は、同年五月三日被告に対し本件第二次保険契約三口を申し込んだが、その際も右同様何らの告知をせず前記の如く翌四日九州厚生年金病院で受診し、入院をすすめられたにもかかわらず、その事実も告げず、保険診査後一箇月以内の新申込みについては、特に前の申込みの場合と異なる告知がない限り、前の診査結果を援用できる旨の被告の内規を利用して、同月七日本件第二次保険契約三口を締結した。
保険契約において告知義務の対象となる重要な事実とは、生命の危険を測定するために必要な重要事実をいうものと解すべきところ、鑑定人高岡善人の鑑定の結果によれば、右上腹部の腫瘤は、肝臓の肝硬変、癌等の悪性腫瘍、良性腫瘍、膿瘍、嚢腫、結核、梅毒、寄生虫、胼胝性胃潰瘍、胃癌、胃の平滑筋肉腫、十二指腸癌、ファーター氏乳頭部癌、胆嚢炎胆嚢癌、膵臓嚢腫、膵臓癌大網膜の炎症性癒着、癌転移等であることが認められるので、右上腹部の腫瘤は、生命の危険を測定するために必要な重要事実と解すべきである。そして、前記認定のとおり忠之は本件各保険契約締結当時すでに右上腹部の腫瘤に触れてこれを覚知しており、かつ忠之は、医師であるところから、これが生命の危険を測定するために必要な重要な事実であることも自覚していたものと認められる。
したがつて、忠之には告知義務違反があつたものというべきである。
三、そこで、つぎに、原告らの、被告が本件保険契約締結の際右重要事実を知らなかつたことについては過失があつたという再抗弁一について判断することとする。
ところで、保険会社の診査医は、その職務の性質上被保険者の告知を受領する代理権を与えられているものと認めるのが相当である。したがつて、診査医に過失があつた場合には保険会社に過失があつたものというべきである。そして、その過失の有無は、普通一般の開業医が通常発見しうる病症を不注意により看過したか否かによつて決すべきものと解するのが相当である。
そこで、被告の診査医に忠之の右上腹部の腫瘤を知らなかつたことについて過失があつたかの点をみるに、<証拠>によれば、被告の診査医である松尾敬は、昭和三八年四月二七日忠之を診査したのであるが、その診査内容は、最初に胸部のレントゲン撮影をした後、健康状態一般について問診を行い、ついで上半身を裸にして坐位で胸部の聴打診、腹部の触診を行い、その他血圧の測定、尿検査を行なつたものであり、右腹部の触診の際、松尾医師が腹部にさわつたところ、忠之は「少しくすぐつたい」といつて腹を引つ込めて固くしたので、同医師は、そのままでは診査の仕様がないので、雑談的に話しかけながら再度腹部を手で押して触診したが、腹筋が非常に発達していて、別に抵抗や圧痛はなく、腹部には何ら異常を発見できなかつたことが認められる。
そして、松尾医師が忠之の右上腹部の腫瘤を発見できなかつたことについて過失があつたかの点につき最も問題となるのは、右診査のうち腹部の触診の点であるが、鑑定人高岡善人の鑑定の結果によれば、普通一般の開業医の場合、腹部の触診は背臥位で行うのが通常であることが認められ、<証拠>によれば、前記認定のとおり日高、岩城、永田各医師が行つた忠之の腹部の触診も背臥位で行つていることを認めることができる。もつとも、証人松尾敬は、保険診査の場合は既応症のない限り被診査者を坐位のままで診査するように規定されている旨証言し、証人村田茂も、同人は、昭和三八年四月二五日住友生命の社医として忠之の保険診査をし、その際腹部の触診は坐位のままで行つたが、保険診査の場合には坐位のままで診査するのが通常である旨証言しているが、証人細川一美の証言によれば、同証人は、昭和三八年四月二五日に千代田生命の社医として忠之の保険診査をしたが、その際腹部の触診は忠之をベッドに寝かせて背臥位で行つたことが認められる。したがつて、保険診査であつても腹部の触診は坐位で足りるものではなく、背臥位で行うべきものといわねばならないから、松尾医師が忠之の腹部の触診を坐位で行つたのは相当ではなかつたものといわざるを得ない。
そこで、進んで、松尾医師が忠之の腹部の触診を背臥位で行つていたならば、腫瘤を発見できていたかどうかについてみるに、<証拠>を総合すれば、(1)松尾医師の保険診査を受けた昭和三八年四月二七日頃の忠之は、身長一七〇センチメートル、体重七〇キログラム、胸囲、腹囲共に九二センチメートルの堂々たる体格の持主で、栄養良好、血色もよく、外見上はすこぶる健康そのものに見えたこと、(2)忠之の腹部が非常に発達しており、皮下脂肪も厚かつたこと、(3)右の忠之のような体格や栄養状態の持主で手拳大の肝臓癌があるのは例外であること、(4)普通一般の開業医にとつて、右のような忠之の体格、栄養状態を考慮に入れると、忠之から何らの主訴なくして診察する場合、触診で忠之の腫瘤を発見することは不可能ではないが、相当入念に触診するか、忠之を健康体とする先入観を持たずに触診するのでなければ、忠之の腫瘤を発見できないことが多いこと、(5)現に松尾医師の診査の三日前に忠之の保険診査を行つた千代田生命社医細川一美は、忠之の腹部の触診を背臥位で行つたにもかかわらず、腫瘤を発見し得なかつたことが認められる。以上の事実によつてみれば、忠之から何らの主訴も受けなかつた松尾医師としては、背臥位で忠之の腹部の触診を行つていたとしても、忠之の腫瘤を発見できなかつたであろうといわざるをえない。もつとも、前記証拠によれば、日高、岩城、永田各医師は、松尾医師の忠之に対する保険診査の数日後にいずれも触診により忠之の腫瘤を発見していることを認めることができるが、右証拠によれば、右の場合はすべて忠之から相当詳細な主訴があり、右主訴に基き触診した結果腫瘤を発見していることを認めることができるので、前認定を覆すに足りない。
以上によれば、松尾医師が忠之の腹部の触診を坐位のままで行つたことは相当ではなかつたが、これによつて忠之の腫瘤を知りえなかつたとはいえないので、原告らの再抗弁一は、結局理由がない。
(矢頭直哉 三村健治 武田和博)